IE9ピン留め

9.孫の雷太鼓

秋田の夏祭り「竿燈」の季節になると、いつも思い出す相談者のことがある。それは、今年と同じような猛暑日が続いた5年前の夏のことであった。街の辻々から「ピーピー、ピーシャララ、ピーシャララ、ピーシャララ」と竿燈のお囃子の笛の音が流れていた。勇ましい太鼓の音も聞こえてくる。竿燈の開催が間もないのだ。あれから月日が流れたのに、猛暑の季節になると決まったように、あの時の相談者のことが一枚の絵のように映像となって思い出される。電話だけの相談だが、その場に遭遇したかのような臨場感と共に脳裏に浮かんでくるのである。

猛暑日の午後のこと。公園の木陰で本を読んでいると携帯電話が鳴った。
日曜日で事務所が休みなので、私の携帯電話に転送されたのである。
「だんなさん、話を聴いていただけますか」
年配の女性の声であった。
「いいですよ。どちらから電話をかけていますか」との問いに
県の北部に位置するメロンの産地の町の名前を告げた。
「いま、畑で仕事をしていたら、急に思い出して、話を誰かに聴いてもらいたくなったのです。このまま話してもいいですか」
農家のおばあさん風の純朴な話し方である。声に張りがある元気な明るい声であった。60代の後半か、70歳位か・・・。
「いいですよ」
「実は、息子が2年前に自殺しました。商売をやっていたのですが、借金に追われていました。裏の小屋で死んでしまったのです。家族に優しい子供でした。息子が死んでから、悲しくて、悲しくて、顔を思い出しては毎日泣いていました」
といって40代後半で息子が自殺したときの状態を話した。母親である自分が第一発見者であった。
「嫁さんは働きに出かけております。孫は私が面倒をみています。」
といって孫は女の子であること、年齢は小学生に入る前であることを告げた。
「息子は親孝行息子で、家計を支えてくれていました。商売がうまくいっていないことは聞いていましたが、まさか自殺するとは夢にも思いませんでした」
「・・・・・」
「息子のことを毎日思い続けているうちに、私も息子のところに行こうと思うようになったのです。取り憑かれたようになって、死ぬことばかりを考えていました。仏壇の写真に向かい、涙を流しているうちに死ぬことが怖くなくなったのです」
「・・・・・」
上を見上げると、濃い緑の葉の隙間の上空は猛暑の青空であった。
「息子が死んだのはちょうど夏の今頃のことです。去年の夏、畑でスイカを取っていたら急に、頭の中が息子の顔でいっぱいになりました。『お母さん・・・』と息子が呼んでいたのです。思い立つように息子のところに行きたくなったのです。それから何をしたか。意識がなくなってしまいました」
「・・・・・・」
「畑から自宅まで、どうやって帰ったのか、記憶がありません」
「・・・・・・」
「気がついたら、自宅の裏の小屋で首を吊ろうとしていました」
といって、次のような情景を話した。
畑から自宅までは徒歩10分位の距離である。集落の少し奥まったところに自宅があり、同じ敷地の裏側に平屋建ての小屋がある。小屋の庇の下に木製の「味噌樽」が二つ並んでいる。昔、自家製の味噌を作ったときに使った樽が。樽の底を天にむけて・・・。高さが1メーター位の大きな「味噌樽」に這い上がって、庇から張り出している垂木に縄をかけた。首を吊ろうとしたのである。縄をかけたことも、「味噌樽」に這い上がったことも全く意識はなかったという。
「その時に、どこからか笑い声が聞こえてきました。子供の笑い声でした」
死んだ息子が残した孫の笑い声であった。近所の子供でも遊びにきているのだろうか。
「二人の女の子が大きな声で『ケラケラ』と笑う声が遠くから聞こえたのです。それから『カランコロン』『カランコロン』と「雷太鼓」が鳴る音が聞こえました。雷太鼓の音で我に返ったら「味噌樽」の上に登っている自分がいました。首の下に縄がブラーンと下がっています。円形の縄が顔を包むように・・・」
死にたいという感情が意識の底に沈殿して自殺を計ったのであろう。
孫娘が叩いた「雷太鼓」の音で我に返ったのである。
「我に返って、首の下から縄をはずしました。それからその場にしゃがみこんでしまいました。そうしたら思わず笑いが込み上げてきたのです。自分のやったことが可笑しかったのです。味噌樽の上で、大声で笑いました。それから涙が出てきて止まりませんでした。あの時から憑き物が落ちたように元気になりました。いまは畑仕事も楽しいし、孫も大きくなって『おばあちゃん。おばあちゃん』とからみつきます。可愛くてしようがありません。あと絶対あんなことはしませんよ。でも私のいのちを救ってくれたのは、孫の笑い声と雷太鼓の音です。孫の笑い声と雷太鼓の音が聞こえなければ私は死んでいたと思います。誰かに聞いてもらいたいと思いながら、長い間我慢をしていました。畑仕事の途中に突然話したくなって旦那さんに電話しました」

今年も猛暑日の夏になって、この相談者のことを何度も思い出した。名前も聞かなかったし、年齢も不詳のままであるが、県北部のメロンが美味しい町の集落で起きた、孫に命を救われたお婆ちゃんのいのちの物語である。

# by npo-kumonoito | 2010-08-15 10:03 | 自殺予防

8.陽気な告白者

数年前の初夏のこと。中庭の緑の葉が微風に揺れている穏やかな日で、朝から相談者が一人もいない。こころが開放され、まどろみながら本を読んでいた。
遊学舎の周りは田圃である。稲穂の上を渡る風は膚にやさしくて気持ちがいい。イスに体の半分埋め、もうひとつの窓際のイスに両足を伸ばし、我ままな格好でウトウトしていたら、肩越しに声をかけられた。

「佐藤さんですか」
「・・・・・・・」
首を半分回して振り返ると、茶色の帽子を被った男が立っている。眠気の覚めやらないまま顔を上げると、頭の上から男が覗き込むようにして
「少しだけ話を聞いていただけますか」と声をかけてきた。
「今は用事がないけど・・・」
「相談ではありません。少しだけでも私の話を聞いていただきたいのです」
「いいですよ。ここだと会話が他の人に聞かれますよ。場所を移しましょうか」
隣のテーブルで数人の中学生が話しこんでガヤガヤしているのが気にかかった。
「そんなに深刻な話でありませんので・・・・」
といって男は私の横にイスを引いて座った。きびきびした態度である。小柄で引き締まった体を正面に向け
「私は大工です」と言った。少しの間を置いて
「10年前に自殺を図りました」
「・・・・」
「自殺したことを10年間誰にも話せなかったのです」
ニコニコと笑顔を浮かべている。深刻な様子は微塵も感じさせない。一昔前の登山帽のような先端が尖った帽子がやけに似合っている。
通路の一角にある席では通りががりの人に聞かれるかもしれない。
「ここでは人も通りますよ。誰かに聞かれるかも知れませんよ。場所を変えたほうがいいのでは・・・・」
「いや、かまいません。そんなに長い話にはなりませんから」と言って正面に回りこんで椅子を引き寄せた。人の良さそうな顔を正面から向けた。思考がぼんやりしたまま、間延びしたような質問をした。
「県内の人ですか」
「○○町です」と合併前の秋田県の北部の町を告げた。
「自殺を図ったのは何時ですか・・・」
「10年前ですから32歳の時です」
にこやかな表情がはにかんだ様な笑顔になった。
相手の表情に引き込まれたように
「何が自殺する原因になったの」と聞いた。
興味心が首を持ち上げた。
「30代の頃、工務店の親方に使われていました。仕事に厳しい親方で、些細なことで喧嘩して首になりました。ヤケを起こしてパチンコに夢中になったのです。遊ぶ金が欲しくてサラ金から借りました。仕事さえあれば初めは返せると思っていましたが、パチンコの負けがこんで借金も膨らんだのです。あっという間に300万円になっていたのです」
「何社から借りたの」と言ったら武富士、アイフル、三和、ポケットバンク、プロミスと指を折りながら
「十社位だと思います」と言いました。
「金額は・・・」
「最終的には400万円になっていました」
「一社から30万から50万円位ですか・・・」
「そうです。最初は武富士からは20万円でした。毎月の返済は1万5千円でしたからこの程度の金額なら返せると思っていましたが、仕事がないまま、どんどん借入れが膨らんでしまいました。借入れが膨らんで自転車操業状態になったのです。月末に10社の請求を受けて、督促の恐怖感でうつ状態になってきました。手元の金がなく返せる目途がありません。父親に内緒で母親からこっそり借りていましたが、母親も愛想が尽きて貸さなくなりました。返済ができません。サラ金の催促に嘘をつくようになってしまいました。電話の督促が怖いのです。こころが沈んだそんな時、大手のサラ金の督促をうけました。何時もの曖昧な返事を繰り返すと、サラ金の担当者に『この野郎。そんな話は聞き飽きた。いつ返してくれるかはっきりしろ』と怒鳴りつけられたのです。その瞬間に私の頭の中が真っ白になりました。裏の小屋までどうして行ったのか記憶がないのです。」
—サラ金の督促に脅かされて意識が瞬間的に空白になったのだ。
「首にロープをかけていました」
「・・・・・」
「こんなに太いロープをかけていました」
と言って両手の親指とひと指し指で5センチ位の円形の輪を作り目の前に差し出した。
「・・・・・そんなに太いロープがあるの」
「建築資材を車で運ぶ時のロープです」
「・・・・」
「ガクンというショックで我に返りました」
「・・・・・・」
「ロープが太くて首に食い込まなかったのです」
深刻な会話の間を初夏の風が緩衝地帯になって渡った。
「顎にロープがかかったのです」
「それで・・・・」
いささか乱暴な口調で聞き返した。
「頭の上のロープに手を伸ばして掴みました」
「それで・・・」
興味津々になった。野次馬根性が立ち上がって相談員であることを忘れてしまったのかもしれない。悲惨さが微塵もない男の明るい表情に幻惑されたように身を乗り出して
「それでどうしたの・・・」
「顎にかかっているロープの頭の上の部分を両手で掴んで体を持ち上げました」
「それから右手と左手と交互にロープを手繰り寄せ、体を持ち上げては上の部分を掴み、さらに右手で手繰り寄せるということを何度も繰り返しました」
「・・・・・・」
「作業を繰り返して梁まで体を持ち上げたのです」
「・・・・・・」
男は大変な体験を他人ごとのように話した。
最後は、梁に両手をかけて身体を持ち上げる懸垂のような仕草をした。あきれたような笑い顔になって・・・・。
「こんなことを話すのに10年もかかったのです」と健康な白い歯を見せました。
私の野次馬根性と好奇心はとどまらない。いたずらっぽい感情のまま
「痛かったろう」と聞いた。
「しんたけいたかった」(死ねほど痛かった)と秋田弁で言った。
「当たり前だよな。危なく死ぬとことであったんだからな」と返して二人で大笑いになった。

初夏の優しい風が二人のこころを和ませてくれていた。天も地も間延びしたような気持ちのいい、3年前の初夏の日の午後の相談風景であった。建物に囲まれた中庭の上空に抜けるような夏の青空が見えていた。

なぜか私の脳には少年期に読んだ「ジャックと豆の木」の光景が浮かんでいた。太い豆の木をよじ登る少年ジャックの姿である。少年期に読んだ本の一節と、母親に幸せの金の卵を運ぶために太い豆の木を懸命によじ登ったジャックの姿が目の前の相談者の姿に重なっていた。相談者の帽子とジャックの帽子のイメージが重なったかも知れない。ロープをつたった相談者の若々しい体形に少年ジャックを想起したのであろう。話は終わった。沈黙の空間が流れた。

「この話いつか本に書いてもいいか」
「名前は書かないでしょうね」
相談者は少年のようにはにかんだ表情になった。

# by npo-kumonoito | 2009-07-16 07:24 | 自殺予防

7.よっこらしょのおばあちゃん

正月のお供え餅のような重い体を持ち上げ「よっこらしょ」と、お婆ちゃんが腰を上げた。
着膨れの体が右にぐら付いた。
丸い体を折り曲げ、小さくお辞儀してから後ろ手に障子を閉めた。
廊下の角を曲がって去ってゆく足音が消えていく。障子の陰から「よっこらしょ」「よっこらしょ」という声が2回聞こえた。
廊下から上がり框へ、框から土間への段差を、掛け声をかけて降りたのだ。
お婆ちゃんが帰っていった。
「この人(女)はタダ者じゃありませんよ。」と、母親を叱かった息子の強い語調が耳に残っている。

お婆ちゃんとの面談は今日が3回目だ。新しい年が明けたばかりであった。
多重債務の相談である。
サラ金や知人、友人からの借金で首が回らない。生活の資金が一円もない、死ぬ以外に道がない。相談場所に行くバス賃もないので、アパートまで来てくれないか、との電話であった。

私の相談は会社の倒産や廃業時点での、中小企業経営者へのアドバイスである。
自己破産なら弁護士会や司法書士会の無料相談日があるし、サラ金を専門に相談に応じるNPOもある。相談機関を紹介したが、聞き入れなかった。
その時はなぜか、相談に応じようとこころが動いた。
相談者がいなかった為もあるし、正月が明けたばかりの年明け早々、つれない態度はどうかと思ったり、高齢者への同情心もあった。加えて、会社の倒産の相談よりは自己破産の相談は単純である、という気持ちも動いていた。

正月の幕の内が終わって間もなくの日である。
毛玉のように真ん丸く小さいお婆ちゃんを、相談場所の昭和館まで案内した。
私はお婆ちゃんに3回手を差し伸べた。
玄関の敷居を跨いで、「よっこらしょ」と声を出した時が1回目。2回目は、土間から框に上がる時に「よっこらしょ」と、もう一歩、部屋に通ずる廊下に上が時、「よっこらしょ」と掛け声を掛けた時に3回目の手を貸した。
部屋に入ると、ボールのように丸い体を前屈みに丸めた。
「足の具合が悪いのです。正座ができません。足を伸ばさせてください」と言った。
頭から眼の縁まで、毛糸の帽子が上から下がっている。下からは大きなマスクで口の周りが隠れている。目の横の空間だけが見えた。大きな眼球であろう。皺だらけの厚い瞼が下がっていた。
「風邪でもひいたの?」
「ええ!」
弱々しい声である。
「私はこの歳で、アパート住まいです。1円もお金がありません。年金生活者なのです。ここまでのバス賃もありません」
「・・・・・」
「死んだ夫は電報電話局(現NTT)に勤めておりました。10年前に死にました。遺族年金を毎月25万程受け取っていましたので、それで生活をしていました。ところが、息子に年金証書と印鑑と預金通帳を取り上げられました。息子はアパート代3万しかよこしません。生活費は足りなくなったつど、払うというのです」
両手を膝の上で擦り合わせる。憐れみを乞うように。
「彼方の実の息子さんでしょう」
「そうです。生活費が無いので、サラ金や友達から金を借りてしまいました」
「どこから、いくら借りたんですか」
「サラ金が5口で150万円と、友達3人から50万円ずつ借りています。全部で300万円です。返済ができないし、生活費もないのです」
「サラ金の督促の紙を見せてご覧。」
「持って来ませんでした」
「それだけは必ず持って来て、と電話で言ったじゃない。それがないと手を打てないよ。じゃ、わかっている分だけでも言って!」
高齢者は物忘れするからな、と思いやりの気持ちが働いている。
白紙の用紙に、お婆ちゃんが言うまま、借入先の金額を書きとめた。大手サラ金4社と、聞いたことのないサラ金1社の5社をすらすらと言った。友人は3人。茶飲み友達である。見るに見かねて貸してくれたとのことだった。
「このままでは、生きる方法がありません。年金証書と預金を返してもらいたいのです。証書を返してもらえなければ、東京でホームレスになります。」
「そうだね。年金さえあれば、生活ができるからね。私から息子さんに話してもいいよ。この次は、息子さんも一緒に来てね」と言って、次週の土曜日を指定した。

2回目も、重ね餅がコートを着たような姿で現れた。
遊学舎の玄関から長い廊下を通って昭和館に入った。昭和館の玄関の敷居を越えるときに、優しい気持ちで、前と同じように手を貸した。その手に縋って、おばあちゃんは玄関を「よっこらしょ」と越えた。土間から廊下に上がる踏み石と框で、また、私の手に縋って、「よっこらしょ」「よっこらしょ」と2回言って6畳間に入った。
相談の和室は温度が低い。ガスストーブに点火しても12度位までしか室温が上がらない。お婆ちゃんは寒さで小さい体を縮めた。前回と同じマスク、同じ帽子を被っていた。

「サラ金の督促状を見せてごらん。」
数枚の請求書を机の上に広げた。電卓を叩く。請求先も4社である。
「お婆ちゃん。合計で93万円だよ。ほら。」と、電卓の表示板を見せた。
前回の話よりも借りている金額が少ない。歳だからおばあちゃんマダラにボケたかな。
「友達から借りた借用書か、受取りかありますか」
「借用書も受取りもありません。みんな、お茶のみ友達です。優しい人達です。返済はいつでもいい。分割でもいいと言ってくれます」
と言って、自分と友達の関係を語った。
茶飲み友達が貸すには、一人50万円は金額が多過ぎると、チラリと思ったが、その程度の疑念であった。
「みんな、優しくしてくれます。それに比べて・・・・・・・・・・・」と、お婆ちゃんの息子の悪口を言った。それから78年の人生の悲哀を長々と語った。お婆ちゃんの年齢は78歳であった。両手は物乞いをするように、膝の上で絶えず摺り合わせた。ホロリと涙を流し、しみじみと情感に訴えた。
「お婆ちゃん、前回言ったこと忘れたな。息子さんと一緒に来るように言ったでしょ。二人で話しても、らちがあかないよ。この次は息子さんを連れて来るんだよ」と、風に飛び散る寸前のタンポポの綿毛を両手で包み込むように、優しく諭して帰した。
帰りも手を添えて「よっこらしょ」「よっこらしょ」「よっこらしょ」と3回も段差をまたぐお手伝いをした。

3回目の面談が1月23日。今日である。
息子さんが同行していた。実母の年金を掠め取るような息子なら、いい加減なグータラだろうと思っていたら、50代後半の身奇麗な男であった。
相手が名刺を出した。知名度のある会社の管理部長の肩書きである。
私はお婆ちゃんへの同情心で、目の隅に角が立っていた。
「ヒドイ話ですね。お婆ちゃんが泣いていましたよ。月に3万円ばかり渡したって生活の足しにもならないでしょう。実の息子なら母親の生活をみるのは当然でしょう。年金証書は本人に返したほういいのではないですか」と、尖った声を出した。先回、玄関でお婆ちゃんを見送ったとき、吹雪に巻かれて帰った寂しげなお婆さんの後姿が目に残っていたからである。
「ご迷惑をかけています」と、謝ってから、息子は母親の方に向き直った。
「お婆さん。また、こんなに借金したのですか。」
「・・・・・」
「本当は、今日は来ないつもりでおりました。ですが、私の会社の社長が佐藤さんを知っていましたし、佐藤さんが社長を知っていることを、私も知っています。これ以上佐藤さんに迷惑を掛けたくないと思いまして・・・・・・。」
「・・・・・」
「佐藤さんにどんな話をしたか知れませんが、この人は人を騙す常習犯です。年金証書で相手を信用させ、お金を借りては返しません。」
「でも、貴方の母親でしょう」
「この人は私の実母ではありません。母親が死んだら、いつの間にか父親にくっ付いておりました。父親が生きている間も、散々、金を使い、家の中にトラブルが絶えませんでした。買い物好き浪費ぐせです。父親の退職金を全部自分のものにしてしまいました。家族が非難したら、親父を連れて家を出て行きました。この人(女)はタダ者じゃありませんよ。」と最後の言葉に力を込めた。
お婆ちゃんは反論しなかった。眼を伏せたままである。
「でも、年金証書は返したほうがいいですよ。3万円では生活ができないし、サラ金の4口だけでも、清算したらいいですよ」
「六カ月前にやったばかりです。」私はタマゲタ(吃驚した)。
この婆さん、多重債務の常習犯であった。年金証書をちらつかせて、あちこちの友達やサラ金から金を借りまくり、同じことを何度も繰り返していた。6カ月前に自己破産したばかりであった。年金証書はまた同じことを防ぐために息子が預っているのである。
「息子さんの言うことは本当なの」と聴くと、うつむいたままである。
そして、質問に答えないまま「私はもう夜逃げします。そして、東京でホームレスになります」と繰り返し、話をはぐらかした。私は真剣に相談に応じた自分がアホらしくなった。飽きれ返ってしまったのである。

お婆ちゃんをからかいたくなった。
「お婆ちゃん、東京だって、今は寒いよ。もう少し暖かくなってからホームレスになったほうがいいよ」と言ったら、垂れた瞼が上がって瞳孔が開いた。眼球の大きい光る目である。獲物に飛びかかるミミズクのような獰猛な目である。視線と視線が絡み合った。すぐに、何事もなかった様に重い瞼を落として、「そんたにだば、待っていられにゃして。(そんなに、待っていられない)」と弱々しげに言った。この女のこころには魔物が棲んでいると思った。
 「としょってから(歳を取ってから)人を騙すもんじゃないよ」と義理の息子に説教されて、お婆ちゃんは帰っていった。三度目の顔も帽子とマスクの中であった。

お婆ちゃんと息子の座布団を片付け、押入れに仕舞い込んで帰り支度をした。部屋の電気を消し、三尺の廊下を左に曲がり、土間を降りた。
框をひとつ降りると「よっこらしょ」と言葉が自然に口から出た。土間に足を付ける時に、もう一度、「よっこら」といって、次の言葉を半分に切り、苦笑した。

何だか、お婆ちゃんは置き土産を置いていったらしい。

# by npo-kumonoito | 2009-05-01 16:18

6.まな板の覚悟

「蜘蛛の糸の佐藤さんでしょうか。相談に乗っていただけませんでしょうか」と携帯電話にテキパキした声が入った。
「明日の朝9時に遊学舎に参ります」と一方的に時間指定の通告である。
こちらの都合を考慮しない慌しさである。
追い詰められているのか、気性が忙しいのか。それとも、「蜘蛛の糸」が事務所を構えた常設の相談機関だとでも思っているのだろうか。
「明日は当方の用事があって、面談できません。あさっての10時に設定させて下さい」と言ったら
「要件は5分で終わります」と言う。
「それではどんな相談か、このまま電話で相談内容を少し話して下さい」と言って車を路肩に寄せた。

高規格の農免道路を秋田市から県南方向を走っていた。山間部の集落を結ぶアップダウンの多い道路である。車外に出ると薄緑の木々の合間に散りぎわの山桜が咲いていた。ぬるい風が頬をなでた。
「商売がダメになり、サラ金から毎日、催促の電話です。参ってしまいました。どうすればいいか相談したいのです」
「それじゃ、5分で終わらないよ。メモができますか」と言って、決算書、借金の借入先、金額、金利、期間の一覧表を作成して、持参するように指示した。

面談日の朝、朝から隣県の相談者からの電話に応対し、約束の時間に数分遅れた。
遊学舎の玄関の丸太柱の横に一人の男が立っている。痩せ気味の年配者であった。A4版の紙に、太く黒々とマジックで「山田」と書いた目印を目の高さに掲げていた。
初対面なので自分を識別し、知らせる為の配慮であろう。空港や駅の人込みで来客を迎えるように。
私は「クスッ!」と笑った。コノ人、大げさな!真面目な人なんだ。
「遊学舎」(相談場所)の玄関付近はいつも閑散と人影が疎らである。名前の紙など掲げなくても、一人で立っていると目立つ場所である。

8畳間の和室で向かい合った。商売は○○○業の小売り販売店であった。
40年の経営歴である。30歳のときに創業した。キビキビした語り口調と締まった体付きで60代の前半に見えた。借入れ先の一覧表が3枚あった。信用保証協会からの借入れ分、本人分、奥さんの分の3枚である。

銀行の債務は信用保証協会が代務弁済して債務の請求が保証協会に移行していた。銀行融資が止まっていた。運転資金の調達ができない。
サラ金に資金調達を求めた。本人分8口、325万円、奥さんが6口、211万円である。
売上は平年なら、1800万円位ある。昨年は300万円とのことである。
商品の乱売合戦で粗利益は10%程度に落ち込んでいる。
売上減少の原因は、隣の市にカテゴリーキラー(大型専門店)の全国チェーンが進出したことであった。大型店の販売価格が自分の店の仕入れ価格より低い。これでは商売敵から仕入れて店頭販売したほうが儲かるようなものである。
更に5年前本人が病気で入院した。老人夫婦の売上は急に減った。
退院後にサラ金から借りるようになった。29・2%の上限金利を借りて、Aサラ金からBサラ金へ、Bサラ金からCサラ金へCサラ金からDサラ金へと、金をくるくる回していた。
4年間、一度も返済が滞ったことがない。律儀な性格である。その分だけ金額と口数が膨らんでいた。

年金の受取額を確認するため、年齢を聞いた。72歳である。
「若いね!60歳位だと思ったよ」
「商売をしていると、こんなもんです。気を休める時がありませんから。顔は若く見えるかもしれませんが体はボロボロです。1日が終わるとぐったりです」と、鉛筆書きの借金一覧表を捲った。14口の借入れ先がびっしり書きこまれていた。
「年金は年間150万円ありますが、年金を担保にしてサラ金の金を一度返済しました。今年の12月で完済します。店を辞めても収入の当てがありません。どんな仕事をしても食いつないで12月まで辿り着きます」と生への執念を覗かせた。
鍛え抜かれた商人の強さが存分に残っている。
「私の人生は終わりました」
「・・・・・」
「倒産して人に迷惑をかけたくありません。死ななければいけません。商売人が倒産することは、人生が終わるということです。破産は死刑の宣告と同じです」
その言葉を聴いて、私は冷ややかに突き離した。
「古い価値観だね」
「そうでしょうか。仲間で倒産した人は一杯いますが、その日を境に誰にも相手にされません。商人が破産すこことは、死ぬことです」と言ったので、もう、一度突き離した。
「古い価値観だ。20世紀の価値観だね」怪訝そうに、若作りの小さな顔が上がった。更に追い被せて
「自己破産で人生が終わった等と考えるのは、江戸時代の価値観だ。今は、様々な法律が整備されている。専門家の判断に委ねたらいい」と言ったら、憤懣の顔になった。
私を銀行のOBか役所の退職者だと思っていたのだろう。3,000万円も退職金をごっそり貰って、余熱の人生でぬくぬくと相談業務に応じている、と思っていたようだ。
「商売の商の字も知らない男が何を言うか」と、顔に出た。
硬い表情になった。

私は、自分の過去を明かさなかった。相談者は、私が事業の失敗者であることを知らないのだ。
「私が破産者だよ。ほら、倒産なんかで人生は終わりでないだよう」と強い視線で見返した。
じっと私の顔を凝視した。顔がクシャクシャに崩れた。
「ウウウオーン!」と両手で顔を押さえ、テーブルの下に沈み込んだ。両手に顔を埋め「ウォーン!ウォーン!」呻くような声を喉の奥から絞った。
声を上げて泣いたのだ。
顔を隠した手はごつごつした大きな手であった。40年間、荷物を運び、持ち上げた苦労の手である。
ひと泣きすると片手で顔を隠して、もう一方の手でテッシュペーパーを取り出し、仕切りに涙をふき、洟を啜った。片手で顔が隠れるほどに大きな手であった。

言葉不要の数分が過ぎた。
沈黙の時間を経て、「お願いします」と顔を上げた。
涙は乾いていた。毅然とした表情になった。
破産の覚悟が決まった。相談者と私の距離感が一気に縮まった。
自己破産の先輩に遇った安心感からである。

これからが正念場である。逆さまに転落してくる。事業への執着と財産のすべてを切り取らなければならない。
相談者のこころの下に緩やかに受け止めるネットを張る。「なにがなんでも、この相談者を死なせない」といういのちのネットである。執刀のメスは言葉である。麻酔をかけながら手術に入る。用心深さが必要だ。

それから、私はA4版の白紙をテーブルに広げ、太いボールペンで
「倒産の選択肢は一つではない」と言って、天から地の方向に一本の線を引いた。
線に向かって太い矢印(⇒)を左から右に引き、縦の線を壁にした。
「山田さんは、今ここにいる」と壁を指した。
「壁の向こうが倒産後の人生だ。この壁を越えるには幾つかの選択肢がある」と。
壁の右側に4本の横棒を引き、上から番号を振った。
1番は会社更生法の適用と書いた。2番は民事再生法の適用。3つ目商法の特定調停、4つ自己破産と書き、どの道を選択すると、どんな結果になるか説明した。
相談者の選択肢は自己破産以外にないとは解っていながらワザと話を横に振った。倒産のショックを緩和する為である。本人の年齢、負債額、再起の可能性、返済余力を再確認し、倒産の手術台に上らせ、残酷な宣告を告げなければならない。
貴方は個人経営ですので、会社更正法の適用になりません。と言って、1番目の選択肢を潰した。
次は民事再生法の適用である。債務を整理し、もう一度、商売に向かいますか。と誘いをかけた。○○○小売販売では、飯は食っていけません。粗利益が10%もないのです。仕入れ価格よりもディスカウントの販売価格が安いのです。商売をヤル気がなくなりました。再起の意思がなかった。2番目の選択肢も消えた。
後は、商法の任意整理か自己破産の道である。任意整理で借金を半分に圧縮しても、毎月の返済が5万円程度は残る。本人の共済年金の受取金は、本人8万円、妻4万円であった。返済の余力がない。年金担保で借入金があり、返済の途中であった。3つ目の選択肢も消えていった。
自己破産の道しか残されていない。
自己破産以外に債務処理の方法がないことを、相談者はウスウス知っていた。自分の判断間違いがないか、最後の迷いを断ち切る確認の相談であった。
自己破産の方法で良いですか、と念を押してから、自己破産すると身分はどうなるか、選挙権はどうなるか、財産はどうなるか、免責の期間がどれ位かかるか、を話した。全て私が5年前に自己破産者として辿った、先の見えない不安の道であった。

観念した表情になった。ここから先は、専門家(弁護士、司法書士)へ、バトンタッチである。自己破産の専門家を紹介して下さいと言われ、司法書士を紹介して、相談は終わりである。

「妻にも、子供達にも、一度も見せたことがない涙を流しました」と山田さんは商売人の人生を手術するためのまな板に乗った。
落胆の表情は隠せなかった。

心なしか、山田さんが一気に老け込んだように感じた。

# by npo-kumonoito | 2008-08-02 13:04

5 タラバガニと潰し屋

秋田空港で札幌からの到着便を待ったのは、3年前の2月の猛吹雪の日であった。
低気圧が大陸から牛の舌のように日本海側に張出し、舌の先端が東北の上空にある。寒冷前線がこれ以上細かい間隔ができない程に詰まって渦を巻いていた。
雪の魔王が白いマントを広げて荒れ狂っている日である。普段なら自宅から空港までは車で50分位である。それなのに、今日は激しい吹雪に阻まれた。ただの吹雪の日ではない。1年に数回あるかないかの猛吹雪であった。
視界1mのノロノロ運転にイラ付きながら、1時間半もかかって空港に辿り着いた。

 「秋田まで来ることない、と言っただろう。よりにもよって、こんな日に来るなんて」とブツブツぼやいた。
空港に着いたら、案の定、札幌—秋田便は吹雪の為に欠航であった。骨折り損とはこのことだ。折角の日曜日なのに。今頃は大河ドラマを見て、一杯やってる楽しみの時間なのに。吹雪に巻かれながら家に帰るまで、また1時間半はかかるだろう。
年寄りはこれだからしょうがない、と帰る気持に切り替えたら
「札幌便の到着をお待ちの佐藤様、お電話が入っております。お近くのサービスカウンターまでお出でください」とコールが流れた。
お婆さんからの電話だな。今日は取り止めたということだ、と思って電話口に出たら、若い女の声である。
「佐藤様でしょうか。こちらは全日空札幌のサービスカウンターです。桂様(仮名)から佐藤様に伝言を戴いております。札幌から秋田への便が悪天候で運休のため、桂様は東京経由の便で秋田に入ります。桂様がご搭乗された札幌発羽田行きの便は只今フライトいたしました。お待ちいただきたいとのメッセージです」とのことである。

何ということか。北海道から秋田に来るのに東京経由で来るとは。千歳空港から羽田空港まで830キロ、羽田から秋田空港まで440キロ、足すと1270キロである。
秋田の上空を飛行し、羽田からUターンして、秋田に入るというのだ。
それもこんな吹雪の日に。明朝、天候が回復してからフライトしても済むことである。
いささかムッとなった。第一、これから何時間待てばいいのだ。ぶつぶつと独り言を言いながらコーヒーを飲んで、東京から秋田に入る8時30分の最終便を待つことになった。
到着便まで3時間もある。それに、この吹雪では羽田—秋田間も飛ぶかどうか。
それにしても、70代の後半のご婦人にしては、凄い行動力である。

電話で相談を受けたのは3日前であった。語尾のはっきりした品性の良い標準語であった。確か75歳とか76歳とか言ったようだ。
相談内容は、長男が会社を脱サラし事業を起こし失敗した。
自宅が間もなく競売になる。最低落札価格が2800万円である。買い戻したい。金を貸してくれるところがないかと、言った。
年配者であるが、話の筋はしっかりしている。
次男が立派な士業(弁護士,公認会計士、税理士等)の立場にあるという。それなら身内で解決できることである。秋田に来ても役に立たないから、家族で良く相談するように伝えた。

2日間に5回も6回も熱心に電話を受けた。
秋田まで相談に来るといって聞かなかった。
私は融資の制度は教えられるが、金融の斡旋はしない。それに、初対面で県外の見ず知らずのお婆さんに、2800万円もの金を貸す金融機関があるはずがない。秋田に来ても問題の解決にならない。無駄金を使わないように説得した。
こちらは長い間の事業で金を借りるのに苦労し、金融機関の対応には精通者である。倒産した息子から直接電話をしてくれるようにと話したが、説得が功を奏さなかった。

3日目の夕方、秋田便のチケットを買いました。ANAの最終便18時24分で秋田空港に到着いたします、との電話であった。
よっぽど惚れられたもんだと苦笑しながら、空港で待つことになったのである。

空港のガラス窓に吹き付ける吹雪に慨嘆して待つこと3時間。東京からの便が到着した。
どんな婆さんか、興味津々になった。
「佐藤さんですか。お待たせしてすみませんでした」と挨拶したのは、針金を2つに折ったように腰を曲げたお婆さんであった。右手には大きな白い箱を携えていた。
今夜泊まるホテルの手配もしていなかった。挨拶もソコソコに市内のホテルを予約し、吹雪に巻かれながらホテルに着いたら、夜の10時を過ぎていた。ロビーで事情を聞いた。

最初に、お土産の大きい白い箱をテーブルに上げて渡した。
「北海道のタラバガニです。ナマモノですので早めに召し上がって下さい」と、上品な声を響かせた。
中身が「タラバガニ」という言葉と箱の大きさに、気持ちのトゲが少しだけ取れ、こころがぐらりと親切心に傾いた。何しろ、こちらは貧乏生活をしている。社長時代100万円以上の月収が13万円に減った年金生活者である。日本から東南アジアに住民票を移したような生活水準に変わっている。
暫くぶりにタラバガニを喰えると思うと、ひとりでに表情が緩んで、顔に締りけが無くなった。もともと進物には弱いタイプである。

 「佐藤さん、大勢の潰し屋が私を追いかけて札幌から来ます。佐藤さんの家にも行くと思います。気を付けてください」と言った。
横に振れ、縦に走る話を聴いたが、要するに自宅を守りたい。2800万円を今日明日の内に貸してくれる人を紹介して欲しいのである。話の合間も何度か聴きなれない「潰し屋」という言葉を吐いた。私は「潰し屋」という言葉を聴いたことがない。手形の取立屋やサルベージ(手形回収屋)位の知識はあるが「潰し屋」などという言葉は知らない。私が知らないだけで、北海道には「潰し屋」という言葉があるのかも知れない。言葉の響きから暴力団の取立屋でなかろうか。破産した息子がヤクザに付け回されているのかも知れない。時間は夜の11時を過ぎていた。

翌朝10時ホテルのロビーで再度、話を聞いた。

昨夜遅い時間に帰って箱を空けたら、タラバガニがびっしり詰まっていた。3万円はしただろう。
タラバガニ効果で前日の不機嫌が消えていた。
カニが横に這ったような穏やかな声を出して「良く、お休みになれましたか。昨日はお疲れになったでしょう。今日は時間がありますから、昨日のことをもう一度お聴きします。」と昨夜食べたタラバガニの身を思い出しながら、品性の薄い声を出した。
 「佐藤さん、潰し屋が5、6人来たでしょう。」
 「誰も来ませんでしたよ。だって北海道からの飛行機は吹雪で運休でしたでしょう」
 「いやいや、飛行機が飛ばなければ、昨夜の内に夜行列車で秋田に入っている筈です。潰し屋は必ず来ます」と断定した。
 「ハッ?」
 それから婆さん、語った、語った。2時間半も。言語明晰。意味不明。行動滅茶苦茶。
先祖伝来の自宅を失いたくない。北海道のありとあらゆる金融機関、知人、友人、親戚に相談をしたと言うのだ。
息子の友人、知己を頼って全国に金の無心の旅である。先月も九州から飛んで帰って来たばかりであった。お婆さんが借金の相談で国の事務次官に会いに行ったと語った時、どこからか声が聞こえてきた。
 「モシカシテ、このオバアサン、オボケにナッテイルノデハ?」と。

婆さんは息子の会社の連帯保証人である。倒産のショックで懊悩錯乱したのではないか。私は倒産者であるから、自宅を失う悲惨さがわかる。お婆さんは先祖伝来の自宅を守る為に狂気のように金策に奔走しているのでないか。北海道中を駆けずり回り、その度毎に、知名度の高い息子が後始末をしているのではないのか。
自分の母親が狂乱して金繰りに駆けずり回ったらどうするだろうか。必死で母親の行動を止めるだろう。婆さんの行く先々で謝罪し、借金話を「潰した」のではないのか。「潰し屋」とは息子達のことだ。と、気付いた。
話の筋道が見えたようだ。

 「これから、どちらに行かれますか」と尋ねた。
 「秋田県庁の幹部に面談し、その後、商工会議所、金融機関、信用保証協会に廻って、2800万円を調達してから北海道に帰ります。」この行動力、タダの婆さんではない。
 「ム!ム!ム!ムー・・・」
 「お帰りになったら、○○○○士の息子さんに必ず電話するように伝えて下さい」と言って秋田県庁の正面玄関まで送った。
お婆ちゃんは階段を上りきって腰を二つに折り、優雅で丁寧な別れの挨拶をした。
ドアを引き、建物の内部から細い体をさらに曲げて見返り美人のように反り返り、もう一度挨拶して微笑んだ。

あれから時が過ぎ、記憶が薄れだした。
相談内容もおぼろになった。新しい相談が積み重なり、お婆さんの記憶は忘却の収納箱に大部分が移ってしまった。名前も顔も思い出せない。
なのに、なぜか、タラバガニの記憶だけが鮮明である。赤くごつごつした殻の感覚、パチンと二つに割った時に飛び出した厚く白い身、サクサクとした歯ごたえ、口いっぱいの甘さが、いや増しに増して思い出されてならない。もしかすれば、折れ曲がっていたのはお婆さんの腰ではなくて、タラバガニの足であったかも知れないと思うほど、記憶に霞みがかかった。そろそろ「守秘義務」のアイコンを削除し「忘却」のアイコンにマウスをクリックする時が来た様だ。お婆さんの記憶は消去しても、タラバガニの味覚だけは記憶に留めたい、猛吹雪の寒波が運んで来た相談者であった。

立派な息子さんからはその後も連絡がないままである。

# by npo-kumonoito | 2008-07-01 13:29

4 散り際のよい経営者

秋田県の中央部、奥羽山脈よりに、桜の美しいまちがある。
秋田市から車で国道一三号線を三〇分ほど南下し、ガソリンスタンドの交差点を左手に曲がり、奥羽山脈を遠望しながら四〇分ほど走るとこのまちに到る。
二キロにわたり清流の堤防にソメイヨシノが咲き、四〇〇本のしだれ桜が武家屋敷の黒塀を背にしたたるように咲く。五月の連休の前後が花の見ごろだ。全国から、海外からも、一六〇万人がこのまちに集い、桜にうかれ、酒に酔う。

相談者はこのまちで生まれ、このまちで商売を興した。二二歳の時であった。
「私は自殺するつもりはありませんが・・・」と相談者は切り出した。
自殺を考える人だけが相談の対象でないよ、と言ったら
「それでは相談にのっていただけますね」と表情をゆるめた。
きちんと正座して両手をひざの上に置いた。意思の強さと愛嬌が同居した丸い顔を表面にむけた。礼儀正しい男だというのが初対面の印象である。

場所は遊学舎の別館の昭和館の客間。建物を利用する人がひとりもない珍しい日であった。風を入れるため、続き間の六畳間の障子を開け、雨戸を横に引いたら、トタン屋根に反射した強い光が部屋の奥まで差し込んだ。
背の低い庭木が見えている。実を孕まない青葉が茂る梅の木だ。葉がそよとも動かないのは風がないからである。
炎暑の熱気が地表に澱んで、うだるように暑い二〇〇六年八月一九日、午後一時からの相談である。

男は若くして武家屋敷の町で商売を始めた。腕と人あたりがいい。
八年間東京で磨いた腕と正直が乗った愛嬌のある顔が熟年女性顧客のこころをとらえるには時間がかからなかった。面白いほどの繁盛店になった。
五年後に住宅ローンを組んで五〇坪の土地に二階建て四〇坪の店舗兼住宅を建築した。スタッフも三人になった。こつこつと預金を積んで金融機関の信用をえた。金がたまるに連れて野望が鎌首をもたげた。狭い町で商売するよりも県都でひと花さかせようと。

32歳の春、創業10年を期して秋田市に進出した。
高級住宅地の幹線道路沿いに間口5間、奥行6間の店舗を構えた。中心部では既存店に勝つことは出できないと戦略的に判断した。背後地の金持ち高齢者を客層に取り込もうと考えたのである。
従業員は七名採用した。経営の分散を避けるため武家屋敷の美容院を部下に譲渡したというから若いときから経営のツボを心得ている。
譲渡金を貰ったわけではない。
毎月の住宅ローンの返済に管理費の三万円だけを上乗せして18万円で賃貸に切り替えた。この金額だと住宅ローンは返済もできるし、部下は資金要らずで繁盛店の暖簾と客を引き継げる。賢明な選択だ。
初期投資は概ね3000万円である。知名度のない新しい市場での初期投資にしては過大すぎたのではないか、従業員数が多すぎるのではないか、と言おうとしたら
「最初の年は赤字でした。二年目は収支がとんとんでした。三年目から毎月300万円の売上で年間3500万円から4000万円で黒字基調になったのです」。
不況の時期に秋田市に進出し三年間で商売を軌道に乗せたからには、やはり経営手腕がある。

黒字の経営が八年間続いた。堅実経営の繁盛店は仲間達から羨望の的であった。
取引銀行の支店長もときどき足を運ぶようになった。金融機関はいつでもお金を使ってくださいといった。
四〇歳になり商売に自信を深めた。もう一店舗は経営してもいいと気持ちが傾いたときである。
取引の材料屋が二つの物件をもってきた。ひとつは経営不振で店主が夜逃げしたといった。もうひとつは理由を明かさなかったが間もなく廃業予定である。
腕のいい美容師がついていた。営業権のいらない居ぬきの魅力に飛びついた。
材料屋は頭の回転がよく弁が立つ。コンサルタントのように美容店経営に明るい。
売り上げ実績の一覧表を提示された。信じた資料は粉飾であった。販路の拡大と売掛金の回収のために材料屋が仕組んだ罠である。

二店舗を引き受けたら資金繰りは日増しに悪化した。本店の稼ぎから毎月一五〇万から二〇〇万円の持出しになった。九年目が赤字決算である。
2店舗閉鎖を決断しようと材料屋に相談した。全国を渡り歩いている材料屋の方が一枚も二枚も上手であった。
狙った獲物は離す筈がない。もっともらしい新たな案を提示した。
「店の経営権を私が引き受けます。三カ月間だけ資金を援助して下さい。その間に店の売上を回復してみせます。」
資金に窮して渡りに舟に乗った。乗った舟は会社倒産と自己破産とを運ぶ泥舟であった。相談時点から10日後の月末倒産は避けられなかった。

丸い顔が憤怒と憎悪に変わって一部始終を語った。
幹部を送り込まれたこと、従業員を扇動して離反させたこと、家賃を払わないこと、稼ぎをネコババされたこと、すべて口約束であった。
得意の絶頂で乗っ取り屋の魔の手に落ちたのである。
人の不幸には必ず群がるもの達がいる。ハイエナのような嗅覚で死臭を嗅ぎわける。
倒産の直前でも会社は生きている。そこにわずかな肉片がこぼれている。その肉片を食い尽くす。ハイエナ達にとって弱まった経営者は格好の餌食である。
二年間で材料屋に会社を食いつくされた。

語り終わると激昂した感情の波が岩にくだけて潮のように引いた。
相談者は怒りを吐き出したくて、私を訪ねて来たのだ。
「42歳ならまだまだ人生のやり直しがきく。再起をかけなさい」
「はい・・・・」と怒りが納まっていた。
「あなたほどの男ならこれからの人生をどうしようか、考えがあるのではないですか、心配ごとも含めて言ってください」
「会社を倒産させ、妻も私も自己破産します」。相談者の意思が決まっていた。
「弁護士に自己破産と会社の整理を頼んでから首都圏に出稼ぎに行きます」
「秋田で再起をかける手もありますよ」
「私の腕なら三五〇万円から四〇〇万円はもらえるでしょう。いちど秋田を離れて頭を冷やします」
武家屋敷の町にある店舗兼住宅を残したいといった。毎月一八万円の収入になる。これからの生活資金になるからである。
資産の隠匿は詐害行為になる。財産にこだわるな、やめとけ、一度はすっぱりと裸になって、いちから出直せ、が私の答えである。
従業員の身の振り方を心配していた。潰れる社長が相手のことを心配するな、まず自分のことを心配しろ、が次の答えである。

最後は連帯保証人の件であった。
妻の父親が銀行債務の連帯保証人である。連帯保証人は債務者と同じ立場になるから債務を免れることはできない。債務は信用保証協会が代位弁済(本人に代わって立替払い)する。
債務の求償権は信用保証協会に移る。返済条件が確定したら自己破産のあとに父親に返済する方法もあると伝えた。

相談が終わった。
日差しが翳り、後退した光が隣室の畳の上に淡い影の境を引いた。
私は挫折した若者に、経営人生を語りたくなった。昭和館の静けさと、去ってゆく夏のけだるさがそんな気持ちにさせたのかも知れない。
暑い夏の日、老いてゆく農家の主人が客間の一室で「家」の将来を息子に託すような気持ちになった。
「芳川さん(仮名)、あなたは職人ですか、それとも経営者ですか」と聞いた。
「私は職人だと思います。お客様に接しているときが一番楽しいのですから・・・」
「一日の内、何時間くらい店に立つのですか」
「店舗が三つになってからは店に立つことがなくなりました。事務室でひとの管理と資金繰り、会社の経営を考える日々になりました。経営権を阿部(仮名。材料屋の名前)に渡したら、売上がガタガタと落ちたのです」
「社員はもともとあなたが採用して教育したものでしょう。あなたが経営権を渡した時、従業員は社長に捨てられたと思ったのです」
「・・・・・」
にわか仕立てのコンサルタントに従業員のやる気が失せて売上が激減したのだと語った。
「お客様はあなたの腕と顔を見に来ているのではありませんか。あなたが店に姿を見せなくなって、お客さんも離れたのではありませんか。あなたのような職人はナンバーワンより、オンリーワンの道を選ぶことです。規模と資本の論理を優先して事業を展開したら、大手の資本力に勝てる筈がない。
自らが店に立ち、自らが率先して従業員の先頭に立ち、笑顔でお客さまの声を聞く。『これでもか。これでもか』とお客様に深いサービスをすることです。
サービスのよさが客を呼び、客が客を呼んで「増客」したら繁盛の連鎖ができるのではないですか。あなたのように腕がよく客に好印象を与える男は一店主義に徹したほうがいい」と語った。
相談者は神妙にうなずいて帰って行った。

それから三週間ばかり経った九月の中ころ、電話があった。
東北自動車道のサービスエリアからかけていた。芳川さんと妻は一緒に首都圏に向かっていた。就職先に向かう途中であった。
破産の申請を弁護士に依頼し終えていた。行動が早い男である。
お礼と報告の電話であった。
「あなたはすぐに立ち上がる男だ。顔に書いている男だから」
といったら、笑いながら
「勇気がわきます」と言った。
八月の相談の終わり際に、私は芳川さんに言った。
「芳川さん、あなたは五年以内に立ち上がるね」
「どうしてわかるんですか」
「相談に来た時、顔に書いている、と言ったでしょう」
「そうですね」
その言葉を覚えていた。
ひとしきり報告を聞いて「ところで・・・・・。あなたの倒産処理の方法は鮮やかなところがある。挫折する若い経営者の相談の参考になる。相談者に語ったり、本に書かせてもらうかもしれないよ」なかば強引にお願いした。
「いいですよ」と明るい声がかえってきた。

この相談者が再起を果たすまで何年かかるだろうか。
五年位で立ち上がるのではないだろうか。脇の甘い経営者であるが、決断に潔よさがある。ひと朝の風に散る桜のまちのソメイヨシノのような散り際であった。

# by npo-kumonoito | 2008-05-17 14:59

3 多重債務の切り替え

相談者は個人経営の工務店である。
年齢は50代の前半。奥さんと一緒に相談に訪れた。快活な奥さんが挨拶された。
その横に胡坐を掻いてご主人が座った。首を垂れている。うつ病であることは一目でわかった。

一般住宅を中心としながらも、地域の神社や寺の改修を請負っていた。腕のいい棟梁である。一時は弟子が3、4名おり、売上高は一億円を超えていた。
長引く不況で仕事が激減し、狭い地域内で受注の奪い合いになった。仕事が途切れ、相談時点では住宅のリフォームが中心になっていた。
売上高はかつての五分の一以下になっている。
奥様が経理担当であった。五年前に見切りを付けて、病院が経営する福祉施設に勤務していた。年収は280万円である。
仕事がないので止むに止まれず、材料持ち込みの下請けに転換したら、些細なことで顧客と喧嘩し、元請会社から支払いをストップされた。
材料費の支払いに窮して消費者金融に手を出した。
最初は30万円である。毎月の支払いは月額12600円である。容易に返済できると思った。
二カ月後にまた30万円を借りた。月に支払い合計は25200円になった。
この程度の支払いなら仕事さえあれば返済できる。度胸ができたのか、三回目は50万円を借りた。
絵に描いたような多重債務者の転落のパターンである。すべて奥さんに内緒であった。妻が夫の異変に気が付いたのは三カ月前のことである。
返済が滞った。サラ金数社から矢のような催促が自宅にかかるようになった。サラ金に怒鳴りつけられ、恐怖心から仕事が手につかない。

「全体は幾らの金額ですか」と聴いても、口籠もっている。
「借入先はどことどこですか。口数は幾らあるのですか」
「・・・・・」
パニック状態で考えがまとまらないか、考えることさえ放棄しているようだ。
奥さんも苛ついて「貴方、どこから借金しているのかも分からないのですか。」詰問口調になった。
下を向いたまま、ぽつりぽつりと重い口を開いた。
「五口で一50万円です。」
「アイフル、アコム、武富士、・・・・・」と大手サラ金業者が並ぶ。
「もっとあるんじゃないの」
「プロミス・・・・・」「それから」と借入先の答えを促す。
次第に借入先が増えた。金額も膨らんだ。
「なにが一番心配ですか」と尋ねた。
「借金の差し押さえで自宅がなくなるかも知れないと思うと、心配で眠れません」と、ぼそりと口籠もった。借入金の総額と借入先を正確に把握する必要があった。

次週は、サラ金の請求書の束を持って相談に来た。
まず、借入先の一覧表を作る作業である。
相談時点ではサラ金は6口、クレジット2口、信用金庫、農協の借金合計で350万円、10口になっていた。本人が思っている以上に借金は膨らんでいるのが多重債務者の常である。仕事を継続するので、自己破産はでできないとのことである。
相談の要点は次の四点である。
①全体の負債を正確に把握する
②うつ病と負債の問題を分けて考える
③こころを圧迫している負債の問題から手を打つ
④自己破産しなくてもいい方法で対策を立てる

こういう相談の解決法は、目先の支払いを減らすこと。支払いの口数を減らすことである。妻の名義で地元銀行の消費者ローン120万円を新規借入し、信用金庫、農協の返済済みの枠を活用して借換えを行った。サラ金の29.2%の高金利を低金利に切り替え、一括返済した。借入先10口が3口になった。月末の心理的負担を軽くした。
目先の支払いは12200円から35400円になった。落ち着いてから、もう一度、消費ローン18.4%を普通金利に切り替える。
事項の表の通り、返済残高は切り替え以前(336万円)と切り替え後(340万円)で殆ど変化はないが、支払い期間を引き延ばしたのである。サラ金の催促が無くなっただけでも、一安心というものであろう。こころに突き刺さっている心配のトゲを抜いた、緊急避難の相談事例である。

# by npo-kumonoito | 2008-04-03 14:06

2 死ぬしかない男

経営者の自殺は武士の切腹に似ている。業種、業態、規模の違いはあるにしても、一人ひとりが一国一城の主である。自殺した経営者の遺影からは尊厳が漂う。
新渡戸稲造はその著「武士道」で、名誉を失い恥かしめを受けた「サムライ」の責任の取り方として切腹の儀式を書いた。切腹は魂魄が棲んでいる丹田を切り開いて、身の潔白を示すための儀式であった。
「武士道において名誉にかかわる死は、多くの複雑な問題を解決する鍵として受け入れられた」と書いている。
私の8人の友人、知人の経営者達も経営責任を背負い、名誉を重んじて自殺したに違いない。ある社長は谷底に飛び込み、ある社長は会社の玄関に縄をかけた。
懸命に会社の経営に取組んだ挙句の死である。武士の切腹を思わせるほどに荘厳で潔よい身の処し方であった。

カレンダーが残り一枚になった二日目の朝に初雪が降った。
雪をかぶって田圃の畦が碁盤の目状の形を現した。冬枯れの稲の切り株が雪に隠れた。きらきらと雪の反射で田圃が息を吹き返した。縮緬の白い帯を敷きつめ、茶褐色の苗を植えたように。
散歩から帰ったら電話が鳴っていた。
「夫が死ぬしかない」と言っています、と緊迫した声である。経営者の妻からである。すぐに会って貰えないかとのことである。
その日は時間がなかった。妻が癌の宣告を受けて入院したばかりである。面会にいかなければならない。三日後に大手術が控えていた。

一日の間を置いた月曜日の午後一時に相談時間をセットした。寒冷前線が東北の上空に居ついたまま縦縞の線を引いて、その日も朝から雪であった。師走の空から本降りの雪が地に降りだした。

相談者は50代半ばのご夫婦であった。
ご主人は長身やせ顔の元気な顔である。黒に赤のチェックが入ったセーターが似合っている。奥さんは小太りの青ざめた顔で心配が顔にはっきり出ていた。地味な服装である。
ご主人はなぜか、口の端に薄笑いを浮かべていた。
挨拶をしてから奥さんが商売の状態を説明した。直前三期の青色申告書がテーブルの上に並んだ。業種は花き販売業である。
近隣の農家がビニールハウスで栽培した花や卸売市場で仕入れた花、肥料や野菜の種を販売していた。最盛期は3000万円の売上高が昨年は1700万円まで落ち込んでいた。粗利益はどの位ですかと聞くと35%あると奥さんが答えた。
店を切り盛りしているのは奥さんだ。
一般の小売業よりは粗利益が高いですねと言ったらご主人が
「俺が売上からくすねなければね」と白い歯を出してニヤリと笑った。
「この人は私がいない間に店の売上をくすねて遊び回るのです」と奥さんが答えた。
毎月20万円から25万円をくすねて遊興費に使っていた。年間の粗利益の半分が消えている。
それでは粗利益率が15%程度になりますね。と頭の電卓を叩いて言ったら見抜かれたという顔になった。商売の数字がわかる相談員だと思ったのだろう。
今月の末で商売が行き詰る。「俺は駄目な男です。女たらしの放蕩人です。今までどんなに女房に迷惑をかけたか知れません。死んで借金を返し、人生を清算します。死ぬしかありません」と言った。

借入金の一覧表を机の上に広げて奥さんが店の事情を切り出した。
借入金の総額が3116万円である。サラ金が7口、352万円、クレジット4口、240万円、仕入先への支払いが62万円、住宅ローンが2462万円であった。住宅ローンを除くと事業資金の借り入れは654万円に過ぎない。
この程度の借金で死ぬことはないな、解決の糸口は見つかるに違いない、と思考回路が回転し始めたら、「実は」と奥さんが改まった口調になった。
「先月の17日この人は自殺未遂をしたのです。睡眠薬を大量に飲んでふらふらになって、救急車で運ばれました」
「睡眠薬でないよ!真夜中に国道13号線の道の駅の駐車場で大量の農薬を飲んで自殺を図りました」と会話をご主人が交代した。
その道の駅は海岸線沿いにあり、私も知っている。
「そこからなら自宅まで10キロあるでしょう。どうして自宅まで辿り着いたのですか」
「○○○の道の駅で倒れているのを大型トラックの運転手に発見され、救急車で病院に搬送されました。二日間意識がありませんでした。気が付いたら病院のベットの上でした」
「何の農薬ですか」
「○○○○○です」
「劇薬でしょう。よく助かりましたね」
「死の恐怖を薄めるため、缶ビールを3本飲んだのです」
未遂者の悲嘆さを微塵も感じさせない張りのある声である。
ビールが農薬を薄めてくれたお陰で、辛うじて助かったのである。
奥さんが「二日間入院してから退院しましたが、最近、また死ぬしかないと言っています。二人で死のうと相談していたら、7月31日の新聞に先生の記事が載りました。一度お話を聞いてからにしようと、無理やり主人を連れてきました」
「ご主人だけでなく、あなたも一緒に死のうとしているのですか」
「私は死にたくありません。商売がダメになっても残務整理があります。残務整理を子供達にさせることはできません」と涙を浮かべた。子供は息子と娘の二人であった。
「銀行は金を貸してくれないし、間もなくサラ金の督促が始まる。死ぬしかない」とご主人がひねたような白い歯をみせた。死を決意した者だけが漂わせる覚悟の笑いのようである。 
「残務整理は大変ですよ。貴方たちが二人で死んだら、子供達は商売の整理ばかりでなく、二人の葬式もすることになるじゃないですか。債務は清算するかも知れないが、両親が自殺すると子供達は長い間尾を引きますよ。それに子供達だって生命保険で自宅を残して貰いたいとは思わないでしょう。子供は両親の後ろ姿を見て育ちます。あなたが逆境の土壇場で自殺したら子供達がこれから成長する過程で万が一の場合、貴方達の生き方を真似するかもしれませんよ」と言ったときだけ、顔の張りが崩れた。
私は借金の一覧表を分析しながら様々なことを語った。
弁護士や司法書士に依頼することにより、出資法と利息制限法の金利差は返還されること、法律扶助制度について、最近開所したばかりの「法テラス」まで説明し、必死に自殺を食い止めようとした。多弁になったかもしれない。ご主人の「死ぬしかない」との言葉につられたからである。
奥さんも「会社さえあれば生活はできます。自宅を処分し、借金の一部を返して商売を続けましょう」と哀願するように語り掛けたら
「自宅を売るなんて不名誉なことが出来るか。お前や子供達のために自宅を残して死ぬんだ」と声を荒げた。
「サムライのように潔いですね」といって
「商売人は店さえあれば再起ができますよ。この程度のサラ金なら司法書士や弁護士に相談したら解決の方法はいくらでもある。最悪の場合は、自宅を処分して商売で盛りかえしたらどうですか」
「この人が働いてくれさえしたら資金が回るかも知れません」
と奥さんも青白い顔に必死の言葉を添えた。

経営再起の鉄則は収入を生まない自宅を売却して、店舗を残すのが常道である。
奥さんの考えに従ったらどうですかと言ったら
「私は死ぬことに決めたのです。先生はサラ金、クレジットが600万円足らずと言いますが、これを処理しても2500万円の借金は残るでしょう。銀行に返済も迫られています。住宅ローンの返済も行詰まります。私はどんなことがあっても自宅だけは残してやりたいのです。子供も連帯保証人です。妻や子供は連帯保証人から外したいのです。自宅を取られたのでは死んでも死に切れません」と言って
「先生はひとつひとつ負債を整理しようといいますが、死ぬものにとったら、借金は返しても返さなくても同じではありませんか。どうせ生命保険で借金の全額が消えるのですから」と生命保険にいのちを託す経営者の心理をついた。

私は、倒産間際に自殺しないために生命保険を解約し、自己破産の道を選んだのは、58歳の直前であった。51歳なら、まだまだやり直しが利く。奥さんに協力して商売を盛り上げて頑張るように勧め、解決の方法を幾つか示したら
「お言葉を返すようですが」と改まった表情にな8億も9億もの借金があったら死んでも生命保険では債権者に全額は返済出来ないでしょう。私の場合は、死ぬと生命保険で返済できる借金だから死ぬのです」
と、負債の大きい経営者が自殺しない心理の痛い部分に触れた。
人間は生きる価値観がそれぞれ違うからね、とかわしたが
この男は頭のいい男だとの感情が走った。

私は5年間に大勢の会社社長や商売人を相手に相談体験を存分に積んだ。この程度の言葉ではこころが波うたない。それでも、サラ金処理の方法、債務の一本化、資産の処分、事業の再構築について説いた。
男は提案を断定口調で「そでにゃ」「そでにゃ」(秋田弁で「そうではない」の意)と悉く潰した。
呆れて、あなたのように駄目な方からばかり物事をみたら、問題の解決はできないよ。希望が見えなくなる。土壇場のときは可能性を探って、ありとあらゆる手を尽くして倒産を回避すべきだと説得口調になった。

一時間半の果てにも、男は再起の土俵に登らなかった。
相談の後半は立て板に水を流して51歳までの人生を語った。驚くほどの饒舌であった。
子供のときに母親が不倫して父親のもとを去ったこと、父親との荒れた生活、愛人をつくって遊び呆けたこと、ギャンブルにうつつを抜かしたこと、店の金をくすねたことを流れるように語った。
能弁な話は、一見スジが通っている。呆れながらも、相談を受ける立場から聞く立場になった。張り詰めたこころを弛緩させて静かに耳を傾けた。目を閉じ、こころを研ぎ澄ませて。
確かに一つひとつの話はもっともである。語調の強さが説得を深めだした。細身の体に乗った顔をすっくりと立て、挑みかかるような恫喝の表情になった。
だが・・、話の内容から形容詞や副詞の修飾語を取り外し、強い語調を消して話の全体を縦につなぎ合わせたら、口先だけの女衒(ぜげん)の言葉のように聞こえた。

「死ぬしかない」「死ぬしかない」と同じ言葉を数回聞かされ、自殺の日を家族や友達に相談していると聞かされたとき、男の本音が露見した。
自殺を決意する男が事前に家族や友人に相談するはずがあろうか。止められるに決まっている。
突然、相談員らしからぬ感情がむらむらと立ち上がった。社長時代にお客様の金を50万円ちょろまかした幹部が四の五のと弁解を重ねた時に、社長室で一発の言葉で解雇したときと同じ、激しい感情である。
この男は仲間たちがいのちを賭して死んでいった尊厳の庭を陵辱の泥足で踏みにじっているのではないか。仲間達の死を馬鹿にしている。許しておけない。

私は奥歯を噛みしめ、きりりとした表情になった。
「そんなに死ぬしかないなら死なせてあげようか」
切腹の介錯のように、そっ首を一刀のもとに打ち落としてやる。今まで一度も吐いたことのない言葉が口をついて出そうになった。
「死ねるものなら死んでみな」
あるまじき非情が立ち上がる前に相談を止めようとした時、目の前の男の自殺未遂は、金蔓の妻の同情を買うための偽装でないか、と疑念がわいた。発見されやすい道の駅で、農薬を飲む前に3本ものビールを飲んだからである。
私は相手を凝視したまま
「どの位の量の農薬を飲んだのですか」と聞いた。
ニヤリと笑ったかも知れない。
女衒は驚愕の表情になった。
見破られた
空気が凍った数秒の後に、
「先生もお忙しいようだから帰ろう」とそくさくと帰り支度をした。
遊び好き、妻泣かせの男も私の感情の変化を敏感に察したようだ。
目で相談の終わりを告げ、これでいいのですか。もう少し話し合うことはないですか、と奥さんに視線の合図をした。さっきまで洟を啜り上げていた奥さんが、青い顔に諦めの笑いを浮かべていた。寂しげな笑い顔であった。
これがうちの人の本性なのです。長い間泣かされました。私の儀式はこれで終わりました。やるだけのことはやりましたから。と言っているようであった。もう言葉はいらなかった。
男が本心から自殺を考えているのか、同情を買うためなのか、判断が付かないまま、後味の悪い相談が終わった。

夫に促されて帰った奥さんの思い詰めた決意の顔が残った。
私が相談に来た本当の理由がおわかりになりましたか。これで、夫が自殺しても驚きません。子供達と共に生きてゆけます。

夫と子供のいのちが天秤にかかる悲しみの岐路で、迷わずに子供のいのちを守る女のしたたかな本性が覗いていた。

# by npo-kumonoito | 2008-03-13 17:35

1 品格のある倒産

テーブルを客間に据え、座布団を並べていると、数人の主婦が階段をきしませて二階に上がっていった。少しの間をおいて、階上から、かすかに民謡の歌声が聞こえる。民謡同好会があるのだろう。

中年のご夫婦は隣県から訪れた。
礼儀正しい挨拶をされた。襖を引き寄せると、車の排気音と民謡の声が遮断された。
炎天の強い光りも遮断されて、緊迫の静寂な空間が現れた。
対峙した時に夫婦共々、ひとかどの人物であろう、と思った。佇まいに品格がある。面談も、ある瞬間にお互いの個性が火花を散らす。簡単にいえば、値踏みである。
相手は私の実力を〝値踏み〟し、私は、土壇場での経営者の態度を〝値踏み〟する。
一瞥の瞬間で相手の人物を評価し、鎧の下に感情を隠して相談を開始する。
相手が大物であればあるほど、これ以下でも、これ以上でもない自分をさらけ出してだらりと受け止めるのが相談の極意だ。

長身の社長が、涼やかな顔を正面に向けた。
夫婦の座わり方にも個性がある。
奥さんは社長に付き従っている風情で、斜め後ろに半歩下がって座った。名前を告げただけで名刺を出さなかった。

年商一〇億円を超えるスーパーの経営者である。
三〇年の事業歴である。人口二八〇〇〇人規模の町に店舗があった。この規模の町で、一店舗で、一〇億円を超える売上は、相当の経営力である。長い間、町一番の繁盛店であった。
ところが、三年前に、付近に大型ショッピングセンターを核としたメガショッピングゾーンが出来た。町全体が商圏ゾーンに呑みこまれた。開店の月は一気に三〇%も売上が下がった。当然の結果として、単年度は大幅赤字である。
三年間、業績が一度も回復しない。累積赤字が膨らんで内部留保を取り崩し、個人資産を売り尽くした。倒産は避けられない。会社の破産と自己破産を弁護士に依頼してから相談に来たのである。

社長は私を見据えて経営人生を語った。
小さな小売店から夫婦で商売を始め、昼夜を別たず刻苦勉励して作り上げた事業であった。淡々と逍遥と己の人生を語った。それは、覚悟を決めた経営者の美学であった。妻はその間、微動もしなかった。
ひとしきりの話が終わると
「月末の倒産は避けられません。覚悟はできております」
三日後に倒産の修羅場が控えていた。
倒産に向かう心構えは何かと問いかける。
「こころをまっすぐに倒産することです。荒波にむけて船を操縦するように。ジタバタすると会社の倒産だけですみません。横波を受けて自分の人生をも失います」
「・・・・・」沈黙が続いた。
「長い間、社長に尽くしてくれた会社ですから、自分の子供を弔うような気持ちで、会社の死を弔ったらどうでしょう」
「それからどうなりますか」
倒産後の人生を聞いているのだ。
「無一文になります」
「それから・・・・・」
「私のようになります」
「安心しました」と深くうなずいて白い歯をみせた。
初めて自分の身分を明かし、名刺を机においた。商工会の会長や福祉法人の理事長、ロータリークラブ会長、町の審議会会長など、数々の経歴が名刺の裏にびっしり張り付いていた。
相談が終わった。

三方の襖を開けると光りが差し込み、澱んだ空気を拡散した。悲しみの伝達儀式が終了したのだ。帰り支度になった。
「あら、どこから歌声が聞こえる」
奥さんが低い声で呟いた。
「二階で民謡教室があるようですよ。さっき、六、七人の女性が上がっていきましたから」
「なんという民謡なんしょうか」
—おらがあきたは、美人のでどこ・・・階段伝いに低く民謡が流れている。
「秋田節だとおもいます。お聞きになりますか」
「・・・・・」
「あら、直されたのかしら。おなじところを繰り返していますわ」
—おらがあきたは、美人のでどこ、お米にお酒、秋田蕗、それに名のあるおばこぶし、秋田音頭に蕗土産—声を張り上げて歌っている。
ご夫婦は、陽だまりで民謡の抑揚に聞き入っていた。
「倒産を三日後に控えた日に、あきた民謡を聞けるとは思いもよりませんでした」
奥さんの目から細い銀線のような涙が頬をつたった。
はた目には何の変哲もない穏やかな、夏の昼下がりの情景のようであった。

# by npo-kumonoito | 2008-03-13 17:33

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